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fukuma blog|福間法律事務所 兵庫県宝塚市 弁護士

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私が司法試験に合格したのは、昭和61年(1986年)であり、当時の司法試験は、2万数千人がチャレンジし、まず択一試験(75問程度の問題でいくつかの選択肢から正解を選ぶ試験)で約4000人程度に絞られ、その合格者は、次の論文試験(法律科目6科目、教養科目1科目)において各科目2問の論述式答案を提出し、500数十人に絞られ、さらに、最後の口述試験においては、論文合格者を東京に集め、1日1科目で各科目毎に二人の司法試験委員(裁判官、検察官、学者等)から直接質問を受け、これに回答する形式での試験がなされ、最終的に、500人弱の合格者が最終合格とされておりました。

私が司法試験を受けていた当時、合格者に対する成績開示の制度はなかったのですが、近時の司法試験においては、成績が開示され、また、行政における情報公開が進む中で、かつての司法試験合格者が自己の成績を知りたいとして、開示請求をしておりましたが、それでもなかなか開示されず、しまいには、裁判をする人までで出て(このあたりはさすがに法律家であります)、裁判で総合成績等の開示が認められる事態になり、それを受けて、近時、資料が残っている場合には、開示がなされるようになりました。

私が合格した昭和61年の資料としては、論文試験の席次成績は資料がないが、口述試験の資料はあるとのことでした。私としては、30年も前のことでもあり、今更成績を聞いたところでどうなるものでもないと思い、開示請求もすることなく、放っていたのですが、近時の司法修習生(司法試験合格者)が成績表を提示して早々と就職内定を受けるという話を聞いたりしたので、今年の6月に成績の開示請求をしたところ、先般(7月)、成績の開示がなされました。

それを見ますと、11番と書いてあり、随分と上位の席次であることに驚き、また、ちょっとホッとした思いでありました。口述試験では、法律のプロ中のプロが様々な形で受験生を試してきますので、なかなかそれにこたえるのは大変であり、私も刑法で随分試験官に揺さぶられましたが、それ以外は、比較的きちんと答えられたかなという感じではありました。

当時司法試験は最難関の国家試験として多くのチャレンジャーを跳ね返していた絶壁の試験でありましたが、私も全く登山のできない状態からその絶壁に挑戦し、最終合格を果たしたときは、まさに自らの青春を賭けた勉強に決着をつけることができたこと深く喜びました。

司法試験は、私の知性と根性を徹底的に鍛えてくれた大恩人です。私の父は、当時存命であり、私の司法試験合格をことのほか喜んでくれました。父は、常々、道が二つあってどちらに行くか迷うなら困難な方を選択せよと言っておりました。簡単なことをして何が面白いのか、難しいことに挑戦してそれを克服することこそ喜びではないかと語ってくれていました。その父に、そして母に、司法試験合格を報告できた時の喜びは、おそらく私の人生においても最上と言って良いほどの喜びでした。

 

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