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「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)を読んで

2014/11/04(火) 本の感想

以前このブログでドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を再読し始めたという話を書きましたが(平成25年10月23日、10月30日)、先日、やっとのことで読了(37年ぶりの再読完了)しました。

いやはや、その読み出した理由というのが、はたしてこの小説は何日間の出来事を扱っているかという甚だ非文学的な疑問からであり、恥ずかしい限りですが、今回、それは判明しました。裁判までの出来事はやはり相当短いです。長い長い小説ですが、その扱う期間はとても短く、しかし、その短いはかない時間の中にドストエフスキー氏は人間のありとあらゆる問題を注ぎ込んだという感じです。

以前ブログで、この小説は読むと面白すぎて、もったいなくなり、読むのを中断してしまうということを書いたのですが、その後、また、勇気を持って読みだすと、これまた面白すぎてまた中断してしまうという事態になり、結局、読み切るのに1年以上かけているのですから、何をしているんだという感じでありました。

大学1年生の時に読んだときは、イワンとスメルジャコフの会話が妙に生々しく、後に刑法で習った「教唆(きょうさ)」(人をそそのかして犯罪を実行する決意を生じさせること)、あるいは、「共謀共同正犯」(複数人で犯罪実行の意思を形成して、その一部の者が犯罪を実行すること)などという言葉が、学問としては正確で有りながら、何か実体を捉えきっていない印象を持ったのも事実であり、また、逆に、刑法の概念がとらえようとしている現実の生々しさを感じることが出来たのも事実であります。

 それにしても大変な小説であります。またいずれ、感じたことを書いてみたいと思います。

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