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「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)を読んで(その3)
「カラマーゾフの兄弟」の2回目を読了してから早3ヶ月以上経過し、いずれ感想を書いてみますなどと言っていたのに、こう長きにわたっていると、当初の感動もだいぶ薄らいでくるところもあるのですが、多少その感動も残っている内に、若干の感想も書いておこうかと思います。
ドストエフスキー氏の生涯のテーマが何であったかは、いろいろあると思いますが、主要なテーマはやはり神ということでありましょう。彼は多くの作品でこの問題を取り上げていますが、カラマーゾフもこれを扱った代表作ではないかと思います。ドストエフスキー氏の手法は、もちろん神そのものを描くのではなく、神に帰依している人、神のそばにいたいと願っている人、激情に駆られながらも神に従順でありたいと思っている人、そして、神に懐疑的な人、神を否定する人たちを通して、神の存在性の有無を探求しようとしているように思います。
ドストエフスキー氏の創作した、イワン、キリーロフ、ラスコーリニコフ達は、たしかに深刻でありますが、ドストエフスキー氏は、他方で、アリョーシャ(未完の続編でどうなったは何とも言えませんが)、ムイシュキン伯爵、ソーニャ達も創造し、人間を救済しているようにも思います。
ドストエフスキー氏の小説は深刻かも知れませんが、なにかどこかに希望が残っているように感ずるのは、私の無神経さに依るのかも知れませんが、私は、ドストエフキー氏の作品に徹底的な絶望に陥らないある種の救いを感じる者であります。
ドストエフスキー氏は、この作品に無神論者とでも言うべきイワンを登場させ、小説の初めの方で有名な「大審問官」の詩を語らせ、復活したキリストを知る司教がそれと知りつつキリストを否定してしまう構造を明らかにしていますが、小説の後半では、夢遊病者のごときイワンに、来世を否定した哲学者が死んで来世にはいると、そこで千兆キロの旅を命じられ、10億年かけて千兆キロの旅を終えて今度は天国の門に入ると、その2秒後にその哲学者は、千兆キロの千兆倍のそのまた千兆倍した距離を歩き通してみせるぞ!と叫んだという話を語らせています。
ドストエフスキー氏は、執拗に神への疑問を投げかけていますが、最後の否定には至らないものがあるように思うのですが、どうでしょうか。
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