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司法試験(口述)の成績開示、11番でした。

 私が司法試験に合格したのは、昭和61年(1986年)ですが、当時、成績開示制度はなく、自分の成績は、知りたくても知る方法はなかったのですが、最近の司法試験合格者については、成績開示がなされており、それとの関係で、昔の司法試験合格者についても当時の成績が本人の請求によって開示されるようになりました。

 そんな制度になったことから、先般、成績開示請求をしてみました。論文試験については席次資料は残っておらず、AからHまでの7段階評定で、私の成績は、7科目中6科目がA、1科目がBの、総合Aであり、口述試験は席次成績が残っており、11番でした。その年の司法試験出願者は2万3904人、短答試験合格者4532人、論文試験合格者538人、口述試験合格者486人でしたので(合格率2.03%)、まずまずの結果であったと言うところでしょうか。

 当時、短答試験は、論文試験受験者を選抜するための足切り試験であり、これに合格すると論文試験が受験でき、論文試験では、法律科目6科目、教養科目1科目について各科目2問の論文答案を提出し、これに合格すると最後は東京に集められて口述試験が行われ、1日1科目で約10日間に亘り、二人の試験官(裁判官・検察官・学者)との問答を行い、その合格をもって最終合格とされておりました。

  私としては、30年も前のことでもあり、今さら成績を聞いたところでどうなるものでもないと思い、放っていたのですが、最近の司法修習生(司法試験合格者)が成績表を提示して早々と就職内定を受けるという話を聞いたりしたので、開示請求をしたところ、7月にその開示がなされました。

 結果は上記の通りでした。論文試験では自己の考えるところを思い切り書いており、論文の席次成績こそ知りたかったのですが、その資料がなかったのは残念でした。これに対し、口述試験は、自分が思っていたより良い成績でした。口述試験については得点分布図も入手でき、自分の得点と順位を全体の受験者の中で正確に位置づけることもできました。口述試験は、比較的スムーズに進んでいたのですが、自信を持って臨んだ刑法で、試験官にやり込められ、試験の怖さを思い知らされ、成績を知るはずもない受験当時、これで落ちたらどうしようかと真剣に思ったりしたものです。最終合格発表の掲示板に自分の名前を見つけたときの喜びはひとしおでありました。

 当時司法試験は最難関の国家試験として多くのチャレンジャーを跳ね返していた絶壁の試験でありましたが、私も全く登山のできない状態からその絶壁に挑戦し、最終合格を果たしたときは、まさに自らの青春を賭けた勉強に決着をつけることができたことを深く喜びました。

 司法試験は、私の知性と根性を徹底的に鍛えてくれた大恩人です。私の父は、当時存命であり、私の司法試験合格をことのほか喜んでくれました。父は、常々、道が二つあってどちらに行くか迷うなら困難な方を選択せよと言っておりました。簡単なことをして何が面白いのか、難しいことに挑戦してそれを克服することこそ喜びではないかと語ってくれていました。その父に、そして母に、司法試験合格を報告できた時の喜びは、おそらく私の人生においても最上と言って良いほどの喜びでした。

 

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