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ファウストゥス博士を読んで(その5)

2018/09/04(火) 日々の出来事本の感想

トーマス・マンがニーチェを描くのに作曲家ないし音楽を選んだということは、マンの音楽に対する造詣の深さ、全てを描ききれるという自己の力量への自信、当時親交のあった一流の音楽家たちとの交流等のよるものであろうと思いますが、さらに、ニーチェの哲学ないし思想に、音楽を誘発する原因ないし契機があったのではないかとも思います。

といいますのは、一般に哲学ないし思想と言いますのは、人間や世界に対する客観的な認識を基礎として、ある程度の論理的な体系をなすものと考えられるのですが、ニーチェの思想や哲学と言いますのは、そういう知的な体系と言うよりは、何か生命に由来する躍動感に満ちたものであり、単なる認識にとどまらないものを含んでいるような気がするからです。ニーチェの文章は、多くの言語で様々に翻訳されておりますが、ニーチェの文章にはそのリズムや躍動感をそれぞれの言語に置き換えたいという欲求を引き起こす性質があるのではないかと思うのです。

私が最初にニーチェに触れたのは、高校生の頃、同級生が読んでいたのがニーチェだったことによるのですが、正に衝撃でありました。大学に進んでドイツ語を選択し、早速原著を買ってきて読み出したのですが、こればかりはわずか数頁で挫折しました。ただ、それでも文章の独特のリズムに魅せられ、冒頭の1頁を暗記したのをおぼえています。

日本語、英語等たくさんの翻訳が出ていますが、それらは原著の持つリズムを何とかそれぞれの言語に変換しようとする営みのようであり、それならいっそ音楽で表現したらよいような側面を有しているのではないかと思うのです(実際音楽にしてしまった作曲家もいるようですが)。

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