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「ファウストゥス博士」を読んで(その2)

2014/08/22(金) 日々の出来事本の感想

トーマス・マンは人間性の深淵をのぞき込みながら、決してそこに墜落することのない強靱な理性を有していた人でありますが、同じく強靱な理性を有しつつあえてその深淵に入り込んでいった人に強い興味と共感を有していたのはたしかであると思います。「ファウストゥス博士」は架空の作曲家アードリアーンの生涯を、その友人であり崇拝者でもあるツァイトブロームが書き記していく物語ですが、虚構の中でツァイトブロームが伝記を書き始めたとされる1943年5月23日は、現実のトーマスマンがその小説を書き始めた日でもありました。そして、主人公アードリアーンのモデルは、哲学者ニーチェとされており、随所でそのことが分かるような仕組みになっております。もちろんニーチェという言葉はどこにも出てきませんが。

そうすると、このファウストゥス博士という小説は、トーマス・マンが架空の作曲家とその友人に自己を仮託し、さらに、音楽の言語的表現という形式を通して、ニーチェの哲学と精神と生涯を表現しようとしたものと解釈する余地もありそうです。つまり、勝手な解釈ではありますが、本書は、ニーチェを素材としてアードリアーンを創造したと言うよりは、アードリアーンというフィクションを通してニーチェを語ったとも言えるような気がするのですがどうでしょうか。

 

 

 

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