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ポルフィーリー 「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」、「未成年」

2013/11/18(月) 日々の出来事本の感想

ドストエフスキーの小説「罪と罰」に出てくる予審判事ポルフィーリーは、小説の中で、自分のことを完全に出来上がった人間であると半ば自嘲気味に言っていたように思いますが、「カラマーゾフの兄弟」では、同じ名の人物が見習い僧として登場してくるのは、なかなか意味深長です。

予審判事は、透徹した心理分析家であり、容疑者を自白に導こうとする戦略家であり、また、混沌から形を作り出そうとするある種の芸術家でもあります。しかし、そのほとんど完成された人間観を有する人物の名を、別の小説では、見習い中の人間とするのは、完成したと思った瞬間、進歩が止まる、あるいは、下降してしまうことの暗喩ともとれそうな気がするのです(勝手な読み方ですが)。

ドストエフスキーの小説「未成年」は、おそらく最後の一文を書くために、長い長い小説を書いたのではないかと思われるくらいですが、完成していないということは、成長の余地を残しているということであり、むしろ積極的にとらえた方が良いのかも知れません。

人生、完成したと思った瞬間、未完成になってしまう危険があるのかも知れません。

(とすれば、未完成と思った瞬間に完成してしまうこともあるのでしょうか?)

 

 

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